「進化心理学・脳科学のレンズを通して政治・経済・一般常識を読み解く」

「55年体制」の終焉が見えはじめた


無党派層の増加は政党政治の限界を示す


国民からそっぽを向かれる日本の政治

 発足以降、比較的高水準を保っていた安倍内閣への国民の期待は急速にしぼんできている。8月に行われたNHKの調査によると、年初に55%だった支持率は8月には39%にまで下がっている。当然のことながら自民党の支持率も年初の38.3%から34.8%へと低下している。そこから普通に連想すれば、その分野党の支持率が上昇してもおかしくない状況だが、現実にはまったく違った現象が起こっている。

 内閣支持率の低下に歩調を合わせるかのように、野党各党への支持率も下落している。民進党の支持率は年初に8.7%だったものが5.7%にまで下落し、蓮舫氏は辞任へと追い込まれた。主要政党の中ではっきりと支持率が上昇しているところは一つもなく、ほぼ横ばいを保っている公明党が唯一例外的な存在だ。要するに、内閣や自民党も支持しなければ、他のどの政党も支持しないという人が増えている。そういった現状からは、国民が日本の政治そのものに愛想をつかしている状況が見えてくる。安倍政権の不誠実な対応や、蓮舫氏の独りよがりで稚拙な党運営だけが問題なのではない。

「支持政党なし」と回答した人の割合が38.3%から45.7%に上昇した。「わからない」と回答した人の割合4.8%と合わせると、支持政党を持たない人の割合は50%を超えている。併せて、長く続く投票率の低下傾向も深刻な問題だ。国民が政治に期待できるものがなくなってきているという現実を象徴している。7月に行われた東京都議会選挙は世間の関心を集めているように思われたが、投票率は50%を超えるのがやっとだった。小池都知事が率いる都民ファーストの会が圧勝する結果となったが、おそらく東京都民の半数以上は、既存政党、都民ファーストの会、そのどちらにも何も期待していない。なぜ国民の多くが政治に期待することをやめてしまったのか。


国民の政治離れは50年以上の歴史を持つ長期トレンド

 1960年代に6%程度だった日本の無党派層の割合が大幅に上昇していく過程には、いくつかの目立った出来事があった。まず初めに、学生運動が急速に後退した後に政治的虚無感が広がった1970年代に、無党派層の割合は20%台にまで急増する。その後も、さまざまなスキャンダルが表面化するたびにその割合は大きく増加し、1990年代に入ると、アメリカの無党派層の割合と同じ水準の35%にまで達した。さらに金丸金権問題によって政治不信が一層高まる中、1993年に自民党が分裂した事をきっかけに混乱が続いた時期に政治不信はピークに達した。無党派層の割合は初めて50%を超えた。去る8月28日に死去した羽田孜元首相が政治改革の実現を唱えたが、現行憲法下で最短の64日間で辞職に追い込まれた直後のことだ。政治改革を切望していた人々は、政界の権力争いによってあっさりと期待を裏切られ、その後は今日に至るまで40~50%という高い水準を保っている。政治不信を招くような事件によって、無党派層は急激に拡大する。しかし、一時的なスキャンダルが沈静化した後も、無党派層の割合は元の水準には戻っていない。急拡大の時期を除いても、日本には明らかに政治との距離を置く層が長期的に拡大しているという傾向がある。

 
政党政治を基本とする民主主義国家において、半数以上の有権者が期待できる政党が一つもないと考えている現状は明らかに異常だ。トランプ大統領を生み出す原動力の一つとなったアメリカの無党派層は35%から45%の水準だ。しかも、日本では1995年以降、先進国の中でも際立って問題のあるこのような状況が、おおむねずっと続いている。これは日本の政治システムが構造的な問題を抱えている可能性を示唆している。


二種類のまったく異なる政治離れが拡大している

 無党派層、あるいは選挙に行かない人々を十把一絡げにすることは間違いである。ここには両極端に異なる二つのグループが含まれている。一方のグループに属するのは、本来の意味での政治的無関心層であり、はなからほとんど政治のことなど考えない人々だ。もう一方のグループに属するのは、とても政治に関心があるのに、支持政党もなく投票にも行かないような人々である。両グループの人々は、政治と距離をおくという態度は共通しているものの、その理由はまったく異なっている。

 
まず、無党派層と呼ばれる人のうち約30%(全有権者のおよそ15%)の人々が本来の意味での政治的無関心層だ。そこには政治のことなど考えている余裕のない人が多く含まれる。彼らの心は、「どんなことをしても、きっと何も変わらない」という無力感に支配されてしまっていることが多い。心理学的にみれば、生活や仕事で困難を抱えている人ほど、何かに期待することや努力することをやめてしまう傾向がある。なかには自己啓発書が勧めるように、困難を乗り越えることで新しい力を獲得する人もいるが、それは不屈の精神をたまたま生まれ持った人や、偶然に周囲に助けてくれる人がいて、そのおかげで困難を乗り越えるという成功体験を積むことが出来た人などに限った話であり、現実にはそんな人は稀な存在だ。繰り返し不幸や不条理を経験するうちに、自分の無力感を学習してしまった人は、絶望の中で、目を閉ざし、耳を塞ぎ、社会と関係を持つことを極力避けようとするから、政治に何かを期待することさえ難しい。本来であれば最も助けを必要としている人の多くが、声を上げることはおろか、考える余裕も時間もない状況に陥っている。しかしそれは、彼らには何も願いがないということを意味しているのではない。彼らは心の奥底では状況を改善して欲しいと強く願っているが、ただ諦めているのである。

 次に、残りの70%(全有権者のおよそ35%)の人々は、自らの主体的な判断によって支持政党を持たず選挙にも行かない「積極的無党派層」と呼ばれる人々だ。そこには比較的高学歴で経済的に恵まれた生活をしている人が多く含まれている。彼らは、資本主義の構造的問題やマクロ経済の問題、紛争地域での問題、あるいは、格差の拡大といった社会問題や環境問題へ、支持政党を持つ人々よりもはるかに高い関心をもっていることが調査によってわかっている。しかし、彼らは他の人々よりも正義感やモラルを大切にし、金銭や物質に頼らない精神的な豊かさにこだわる一方で、政局問題などへはほとんど関心をもたない。そのために彼らの立場は政治的無関心だと誤解されることが多いが、彼らは決して政治的関心が低いわけではない。

 
当然のことながら、子供の給食代を支払うことにも事欠くような困難に直面している人々と、物質的には余裕のある生活を送っている人々では、その要求するものは異なっている。しかし、両者には重要な共通点がある。彼らは自分たちの政治的欲求を既存の政治家や政党が実現してくれるとは到底思えないことから、選挙にも行かないし支持政党ももたない。彼らには既存の政治システムの中に自分の要求を満たしてくれる道筋が見つけられないのである。


政治とは、そもそも利益をどこに誘導するのかを決める仕組み

 
加計学園と安倍首相の関係が取り沙汰された時、「忖度があったのではないか」と野党もマスコミも揃って大騒ぎをし、安倍首相は懸命に否定しようとした。こうした話題に多くの人が関心を示すのは、たいていの人がゴシップに強く反応する傾向を生まれ持っているからだ。集団での活動を頼りに人類が進化するなかで、こうした特性を身につけた。不正を働く者を放置しておけば人々が生きていくためにどうしても必要な協力行動に支障が生じる。だから人類は噂話をすることで、不正についての情報を共有し、そうした行いをする者を排除しようする。平等や正義に対する欲求は進化によって生じた基本的なものだから非常に強力だ。だから、すべての政治家はゴシップの対象になることを極力避けようとする。しかし、政党政治の世界において忖度の排除を求めすぎるのはおかしな話だ。

 
違法性を議論するなら理解できるが、議会制民主主義に、法律を守ったうえで更に清廉潔白を求めすぎるのは間違っている。ホモ・サピエンスは国民国家というような複雑で巨大な集団の中で生活できるように進化してきたのではない。しかし、結果的にそのような社会制度を作り上げてしまったから、苦肉の策として議会制民主主義を作り出したのだ。人の進化のペースをはるかに超えるスピードで発展し巨大化した社会制度のなかに、感覚的な理想を求めすぎても、それがかなえられる可能性はないから、不満を増大させることになるだけだ。

 そもそも人が、いずれかの政党を支持し、選挙に行くのは、何らかの忖度を求めてのものではないのか。大辞林にも、政党とは、「政治上の主義・主張を同じくする者によって組織され、その主義・主張を実現するための活動を行う団体」と書かれている。それは私利私欲に基づく徒党ではないにしても、自分たちのグループにより多くの利益を誘導しようとしてなされる活動ではないのか。

 
民主主義という制度に理想や希望を抱く人は多いが、この制度も結局のところは利益誘導システムの一形態にしか過ぎない。利益の配分方法が国民による選挙によって決められるという特色はあるものの、多数決の原理とは、声の大きな者、つまりは選挙によって権力を与えられた者が多くを得る仕組みであることに変わりはない。

 ここで改めて考えなければならないのは、無党派層が50%を超えているという事実だ。それは、半数を超える国民が現状の利益誘導システムに納得していないということである。


無党派層の拡大が示す危機シグナル

 アメリカでは、それまでの政治が大企業や軍需産業にばかり利益を誘導し、白人労働者への利益配分を怠ってきた。そのために、白人労働者たちは熱烈にトランプ氏を支持した。イギリスでは、政治が伝統的にシティの金融界や大資本にばかり利益を誘導し続けてきたので、庶民層が怒ってEU離脱という結果を招いた。

 
日本でも、2007年からの2年間に似たような現象が起こりかけたことがある。「二大政党制」の実現により、官僚制に支えられた大企業優先の社会システムを打ち破ることを目標に掲げた当時の民主党(現在の民進党)が、無党派層を引き付けることによって大躍進した時期である。この時無党派層の割合は30%代前半にまで低下した。

 この民主党ブームは、結果的には55年体制を延命させることになってしまった。2009年、せっかく無党派層の支持を得て発足した民主党政権は、「55年体制」を打破するという目的とはかけ離れたところで迷走し、あっと言う間に支持者たちの期待を裏切った。その結果、せっかく政治離れから卒業し、これからは積極的に政治参加しようと考えていた人々に、以前にも増して強力に無力感を学習させる事になった。そして、無党派層の割合は2011年には再び50%に逆戻りした。

 
期待はずれによって民主党政権は、無党派層という火薬庫をすっかり湿らせてしまった。彼らの政治不信はますます強化され、結果として、大企業と老人を優遇する利益誘導システムが延命されることになった。たが、それによって火薬がなくなったわけではない。今のところは湿っているが、火薬の量は以前よりも多くなっている。

 
日本の今の政治体制は「55年体制」の呼び名が示す通り1955年から続いている。1922年に成立したソ連は、60年ほど経った頃に混乱が表面化しはじめ、70年目の1991年に崩壊した。日本の政治システムは現在のような形になってから既に60年が経過し、既得権益や支持母体を世襲した2世、3世議員の割合が増え、時代の変化に合わせて対応を変えることがますます困難になってきている。半数を超える国民が現状の政治に希望を見いだせない状況が長く続いている。すでに55年体制の崩壊は始まっているのかもしれない。

 
少しでも混乱を避けながら次の時代を迎えるために、私たちには何が出来るのだろうか、また何をしなければならないのだろうか。綺麗事ばかり口にして現実と正面から向き合おうとしない日本人の特質が足かせとなる時代が目の前に迫ってきているかもしれない。「和をもって尊し」としながら、問題を先送りしているだけでは取り返しのつかない事態に陥るかもしれない。伝統的な態度とは異なる角度からも問題の本質を検討していく必要がありそうだ。


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  2017年7月 チンパンジーの生態から読み解く英のEU離脱とトランプ現象  
     



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